Saturday, November 7, 2009

批評練習1

Moutros wrote the following text holed up inside a small cave shaped like one half of a melon. To me, the text was completely illegible except for the Arabic numeral, 1.

1. 時間的・空間的に異なる「他の文化」を理解する可能性について。 (On the possibility of inter-cultural understanding, modern science, and medieval Christianity.)  

 他文化を理解しようとするとき、まず自分の時代と文化、言わば自意識を省みる必要があるが、それだけでなく、その自意識の中に多様性や驚きを見い出す過程をも必要とする。自らの時代や文化の内にも、単一的、あるいは固定的な枠組みの中に収まり切らない価値観や慣行が存在し、その文化や時代の内部で有効な役割を担っているのではないか、と常に自問し疑いながら、他者に目を向けてみる。そうすれば、自意識に基づく尺度が、必ずしも絶対的な真実のみの上に成立しているとは限らないことに気付く。つまり、明確に「他」の文字とレッテルを貼りつけることのできる相手と直接的な関わり合いを持つ以前から、自己の内側に潜む他者的存在について熟考し、あくまでも自己の中の他者という矛盾を孕んだ自画像の前で、目を養う。それから本番、他者の前へいよいよ進む訳だが、自己の内側でより本質的に感じられる部分、そして同じく自己の内側でより異質的に感じられる部分の両極にそれぞれ対応する側面を、縦横に他者の内側に認めることができたならば、他の文化や時代を理解し始めようとすることができる。何よりも、分裂した、あるいは多義的な自己の姿に、他者の姿の、細部は大きく異なるかも知れないが、それでも、同じく分裂し多義的、多面的な性質の予感を識別することが、重要ではないだろうか。それぞれの文化・時代・空間に固有であるものは大切に扱うが、同一の文化・時代・空間に存在するからと言って、固有種同士が矛盾や不調和を作り出すことはないはずだ、と断定するのは、他者の理解のみならず自己の理解の幅をも狭めてしまうことになろう。

 例えば、近代科学を自分の文化と位置付け、他文化であるヨーロッパの中世文化の理解を目指そうとしよう。近代科学の担い手として最初に挙げられるのは、科学者たちであろうが、実際は、科学者ほどは専門知識を持たないにも関わらず、科学の確実性を多少とも信じる多くの一般人によっても支えられている。一般人の中で、地動説を正論として信じており、日々の暮らしの中でもその現象を五感により捉えられていると信じていたとしても、科学的な方法で、地動説の一部始終を説明・証明できる者は果たして何名いるであろうか。これらの一般人、言わば「素人」は、数にすれば人口の大多数を占めるのであろうが、少なからず盲目に近い信頼を科学に置いている、という観点から判断すれば、その非専門性のゆえに、近代科学の内側にいる他者、と名付けることができないだろうか。この近代科学における専門家対素人の構造を中世ヨーロッパに大まかではあるが置き換えるとすれば、キリスト教における聖職者及び政治的権力者、対、一般人あるいは「俗人」・「俗衆」の構造が浮かび上がるのではないか。創造主の信仰については、聖職・権力者であっても、一般人であっても、本物の顕現、エピファニーのような宗教体験のある者も、無い者も、ばらばらに分散して存在していたかも知れないが、当時のキリスト教文化をなるべく包括的に捉えるとすれば、聖職・権力者側が、比較的、専門的知識に疎い俗衆に信仰を勧め、広め、その対価として宗教の支持を求めた、という点では、近代科学の科学者と素人による構造に類似している。従って、もし中世文化は無知蒙昧だと決めつける者がいれば、それは決して創造主やキリストの信仰のみが無知を助長したとは言えず、社会全体に無知が氾濫したと主張するのであれば、専門家と非専門化の間の非対称な権力構造や知識の分配に拠るところが大きいと考えてはどうだろうか。そして、この非対称な構造は、近代科学においても観察することができ、例え、近代科学が迷信の類を大幅に取り払ったとしても、大衆による科学の支持には「非専門性」の名を被った「無知」が一役買っている、と考えることもできるのだ。また、更に付け加えるとすれば、近代科学の専門分野内においても、まだまだ無知の領域は広く、皮肉なことに、科学の専門知識が深ければ深い者ほど、人類の永続的な無知を思い知る毎日を送るものではないか、と推測する。

Ignorance ought to be used as wrapping paper.
Let's read, man!
To read, we need time.
Let's ask for time.

Hello, time.
Goodbye, time.
Time has a life, too.
Let it do its thing, please.

Leave it alone, for Godot's sake....

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